滋賀県長浜市木之本町1472番地 【きのもとまちあんない 木之本観光案内所】 (JR木ノ本駅内) TEL 0749-82-5135

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北国街道

北陸と近畿を結ぶ陸路として、古くから開けた道路で名称も経路も時代により変遷してきました。一般的には金沢城下から中仙道鳥居本宿までを北国街道と呼び、木之本宿には本陣、問屋、伝馬所などが設けられました。

木之本宿には昭和の初めまで中央に小川が流れ、柳の木が植えられた宿場らしい風情を残していましたが、現在では埋め立てられ、商家の家並みに昔の情景を残しています。

   

杉玉(酒林)

酒屋の軒先に看板として出され、真新しい緑の酒林は新酒が出来た事のしるし。昔は運搬時の防腐剤として酒樽に入れられたとも伝えられている。

旧本陣

当主は日本で第1号の薬剤師。古い薬の看板が今も残っている。

   

北国脇往還

木之本宿から、名古屋・江戸方面へ向かう旅人が中仙道鳥居本宿を経ず、関ヶ原宿へ向かう近道として賑わった街道で、木之本宿の南端が起点となっています。

賤ヶ岳の合戦の際には、羽柴秀吉が大垣から木之本間(十三里・約52km)を約5時間で駆けつけ、動揺した柴田勝家軍との戦いに勝利し「大垣大返し」と呼ばれ、山崎の合戦の際の「中国大返し」とともに、秀吉の二大大返しとして有名です。

 
 
 

木之本地蔵

木之本は「やなぎもと」と呼ばれた昔からお地蔵さまの門前町として栄えてきました。この地蔵さまは、むかし大阪湾に流れ着いた本尊を祚連上人がこの地に祀ったと伝えられています。また、当寺には「身代わりカエル」の伝説があり、寺の池に棲むカエルが地蔵尊の願いにより、目を患った旅人に片目を与え、旅人は旅を続けることが出来たとの昔話で、いまでもお寺に棲むカエルは片目をつむっているといわれています。

秘仏である本尊にならった大銅像は、明治27年の建立で材料となる銅は、近在だけでなく全国の信者から供出された銅鏡であったといわれています。毎年8月の「大縁日」には、多くの露店と遠近よりの参拝客で身動きができないほどのにぎわいとなります。

   

木之本地蔵院(浄信寺)

目の仏様として知られる時宗の寺。境内に立つ6mの大きな地蔵像「木の本のお地蔵さん」が、全国から訪れる参拝客を出迎えてくれる。

お寺の歴史は古く、白鳳時代までさかのぼる。空海・木曽義仲・足利尊氏・足利義昭も参拝した記録があり、賤ケ岳の合戦では、秀吉がしばらく陣を置いた。

   

木之本牛馬市

室町時代から昭和の初期まで毎年2回、街道の民家を宿として牛馬市が開かれました。

江戸時代には藩の保護を受け、地元近江をはじめ、丹馬、丹波、伊勢、美濃、越前、若狭などから数百頭以上も牛馬が集まり盛況を極めたそうで、歴史に名を残す名馬を数多く輩出し、山内一豊が妻の備えていた金子で買い求めた名馬もそのひとつと伝えられています。

 
 

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